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愛を受け取ることはできていますか?

夕飯の支度をしていて、親指を包丁で切ってしまいました。

深く傷が入ったので「あ、指、切ったわ」と思わず言ったところ、リビングにいた夫と娘が騒ぎ出し…
夫「かあちゃんがそんなこと言うなんて、よっぽど深い傷や!座っとけ!座っとけ!」
私は「とりあえず止血」と思って、ぐっと指を組んで様子見。
娘は「どうしよう、どうしよう」アタフタ、アタフタ…
そして、持ってきた絆創膏が小指用みたいな、めっちゃ小さいやつで(笑)
夫に「そんなもんで足るわけないやろ!」と強めに言われてショゲル…(笑)
ケガした当事者=私は、こんなふうに周りが慌てふためくほどに冷静で。
「大丈夫、大丈夫」と、とにかく止血。
という出来事がありました。
夫はそのあと数日、洗い物をすべてしてくれて、
娘は、お風呂で洗髪をしてくれました。
「洗い物も、もういいよ。できるし」
「頭も洗えるよ」
だけど傷が大きかった(と家族が多少、勘違いをした)ため、数日、姫のような扱いを受けたのでした。(ラッキー!)

愛を受け取れなかった私が家族に甘えてみた

まあまあ出血はしましたが、痛みも少なく、対処が良かったので、洗い物も洗髪も早々にできる状態になっていました。
でも、家族の勘違いのおかげで、甘えることになりました。
今までは、できるのに甘えるのが、なんだか、申し訳ないというか、、、
ぜんぜん受け取れなかったんですよね、私。
「いいよ、できるから」って頑張っちゃうような感じで。
でも今回は甘えてみよう、ゆだねてみようと思えたのです。
娘の学校での出来事をきっかけに出会い、学びを続けているベガヒーリングについて、これまでもブログに書いてきました。
その学びの中で、
愛を受け取れないのは自分に対する無価値観がある
という気づきがありました。
自分を愛せなくて、自分を嫌っていて、
自分は愛を受け取る価値がない、自分は幸せになる価値がない
と思っている
という気づきです。
もちろん、無意識で生きて、暮らしています。
だけど、褒められても
「いえいえ、そんなことないです。まだまだゼンゼン不足してます」とか。
わざわざしんどい方を取りに行ってしまったり。
自分の心を大事にできていないような、自分をいじめるような行動をとってしまったり…
ふとした時に、やってしまうパターンがあるわけです。
無価値観は、人生のどこで生まれたのか?というと、それは一か所ではありません。
いろんな出来事、場面、人との関係性の中で、芽が出たり、膨らんでしまうもの。
生まれたての無垢だった自分から、いろんな出来事で傷ついた自分を見せないように、
そして、もう二度と傷つくことのないようにヨロイをまとっていく。
だから、ヒーリングのワークで、
何枚も身につけたヨロイを脱いでいく、
そんな作業を時間をかけて、していくのです。
まとっていたヨロイをどんどん脱いで、抱いている無価値観を癒していくと、自己愛が上がっていきます。
そうすると、周囲の人たちの、自分に対する接し方も変化してきますし、
なにより、自分自身が自分を大事に思えるようになり、自分をいじめる行動が少なくなっていきます。
そして、不足していると思っていたけれど、
実は愛をもらっていたことに気がつき、
素直に愛を受け取ることができるようになっていくのです。
現在進行形な私ですが、先生や仲間と学びを続けていますし、
私のところで基礎コースを受講している生徒さんと一緒に歩んでいます。