人の妊娠が喜べない

自分よりあとに結婚した友だちが、自分より先に妊娠した。

他の友達にも先を越された。

 

私だけが妊娠できない。なんで…?

 

こんな状況では、友だちの妊娠を喜びたいのに喜べない。

 

「不妊で悩む人あるある」です。

 

芸能人の妊娠のニュースでも、はっきり言って「ギリ」です。

芸能人の妊娠でさえも喜べない。

 

喜びたいのに喜べない。

けど、パンダの妊娠は喜べた。

 

これが、不妊で悩んでいた時の私の気持ちでした。

 

「喜びたいのに、人の妊娠を喜べない自分」

子どもができなくて悩んでいた時は、この感情に私もずいぶん苦しみました。

いまは、この感情を紐とけるので、少し書いてみます。

 

 

「喜びたいのに」という言葉は、頭で考えた感情から来る言葉です。

 

「妊娠というこんなにも喜ばしいことは喜ぶべきだ」

「喜ばなくてはいけない」という道徳があるから

「喜びたい」っていう言葉になる。

 

「喜び」って、本来は心の底から湧き上がってくるものなんですよね。

 

「喜びたいから喜ぶ」んじゃなくてね。

 

うれしくてうれしくて仕方ない。

抑えられない、湧き上がってくるもの。

漏れ出しちゃうもの。

 

それが喜びなんですよね。

 

 

もう一つの想い

「喜びたいのに喜べない」の先に、まだメッセージがあります。

 

喜びたいのに喜べない自分は、なんて邪悪な人間なんだろう。

なんて冷酷な人間なんだろう。

(「こんなんじゃ、お母さんになれるわけがない」とまで、なんともご丁寧なシナリオをつくることも、結構よくあるね)

 

と、自分を責めて、「私ってなんてひどい人間!」とおとしめて、自己嫌悪におちいる。

そしてまたネガティブループに入って罪悪感にひたる。

 

あぁ、落ちていく。。。

 

 

実はね・・・

そうすることで自分を悪者にしなくてすんでいるの。

悲劇のヒロインでいられるの。

 

「自分が妊娠できなくて、そんな状況で人の妊娠も喜べなくて、本当は喜ばしいことなのに、喜べない自分はなんて冷たい人間なの」って、きれーいに仕立てあげて、良い人ぶってるの。

 

いつまで、そのヒロインごっこ、やりますか?

 

 

喜ばなくていい

だって嬉しくないんだもん。

嫉妬しちゃうもん。

いいなーって思うもん。

 

もっと言うと

私が不妊で悩んでるの知ってるくせに、デリカシーなく報告してくるなよ!って思うし。

あの人、私より悪い人間なのに、なんで妊娠というご褒美もらってるねん!!!って、ほんと悔しいし。

 

喜べないどころか、すごく怒ってるやん!!!

 

これが本当の気持ちですよ。

 

そりゃ~喜べるわけがない。

 

 

大切なことは、こうやって自分の気持ちを深く深くほっていって、本当の気持ちに気づくこと。

 

気づいたときにはフタをしないこと。

「こうあるべき」「こうでなくてはならない」というお利口さんの観念をつかってフタをしないこと。

 

暴れてやれ。

うおぉ~って、吉田栄作みたいに叫んでやれ。

ん? あれ? 知らない??

 

お利口さんを取っ払って、うらやましいぞぉー!って叫んでやれ。

 

気持ちの成仏。

 

まだまだ、気持ちの紐ときや、真の癒しがいるんだけどね。

まずはそこからだよー